1200人のシェフが愛用<br>さいたまヨーロッパ野菜研究会

さいたまヨーロッパ野菜研究会
写真提供:ヨロ研事務局

 これまでヨーロッパから空輸するしかなかった本場の野菜が、地元埼玉で手に入るようになった。

 生産だけでなく流通・販売・普及まで視野に入れ、地域が一丸となって産地形成してきたさいたまヨーロッパ野菜研究会、通称「ヨロ研」。13人の若手農家が生産した年間約70品目のヨーロッパ野菜を、飲食店などに出荷している。取引先は全国で1200軒以上あり、うち埼玉県内への出荷は約1000軒。地産地消の成功例として、他地域からも視察が絶えないが、「そう簡単には真似できない」と関係者は口をそろえる。その取り組みの、何が新しいのか。成功の原動力となっているものは何か。3回にわたってレポートする。

写真・文=成見智子(ジャーナリスト)

第1回 高温多湿の日本で、高品質のヨーロッパ野菜ができる理由 ~生産農家・小澤祥記さん

「日本では、新鮮なヨーロッパ野菜が手に入らない」

 2メートルを超える長い支柱に留められた枝は、突き上げるように高く伸び、通路に張り出している。その下をくぐって畑に入ると、茄子紺色の葉脈をくっきりと浮き立たせた葉の間に、丸々とした実が艶を放っていた。イタリア原産のナスの品種「フィレンツェ」。小澤祥記(よしのり)さんは、さいたま市岩槻区で栽培を始めて5年になる。

「果肉がしっかりしているから、加熱しても崩れにくいし、やわらかくてとろっとした歯ごたえになるんです。メインディッシュのつけあわせや、ラタトゥイユ、ミネストローネ、あとはパスタの具にすることも多いみたいですね。うちでは、輪切りにして火を通した後、トマトソースとチーズ、ソーセージなんかをのせて、ピザ風に焼きます。子どもたちも大好きで、パクパク食べてくれますよ」

 実の直径は10センチ前後、重さは200~250グラムある。草勢が強く、一般的な和ナスより草丈もはるかに高くなるため、丈夫で長い支柱を土中にしっかり立てて育てる。小澤さんは50株から栽培をスタート。3年目となる一昨年から本格的に栽培するようになり、今年は1000株植えたという。

「長く作り続けていけるものなのかを見極めるのに、3年くらいかかります。育て方や品種だけでなく、その年の天候によっても出来不出来が分かれるので、判断に迷うところですね。種そのものが、今後も安定的に入手できるものなのかという点も重要なんです。それが叶わなくて、お蔵入りになった野菜もありますよ」


フィレンツェの重さは和ナスの1.5倍以上


 小澤さんは、年間約70品目のヨーロッパ野菜を県内の飲食店などに出荷する「さいたまヨーロッパ野菜研究会」の副会長で、若手農家を束ねるリーダーだ。「ヨロ研」の通称で知られる同研究会の発足は2013年。きっかけは、さいたま市などでイタリア料理店やカフェを営む現会長の北康信さんが耳にした、現場のシェフたちの声だった。

「本場の野菜を使いたいのに、日本では新鮮なものがなかなか手に入らない」

 そんな折、地元の種苗会社が国内向けにイタリア野菜の種の開発と販売に着手していることを知った北さんは、地域内でヨーロッパ野菜を生産して流通させることはできないかと考え、公益財団法人さいたま市産業創造財団に相談。同財団から協力を求められたのが、当時小澤さんが代表だった若手農業者グループ「岩槻4Hクラブ」だった。クラブから4人の有志が参加し、それぞれ数品目ずつ栽培するところからヨロ研の取り組みはスタートした。

 小澤さんは長ネギ農家の長男に生まれたが、家業に興味を持てず、内装設備関係の仕事をしていた。しかし、父ががんを患い、余命宣告を受けたのをきっかけに、2009年に就農した。ヨーロッパ野菜の栽培を持ち掛けられたのは、ネギ栽培を始めて3年半ほど経った頃。後継者として懸命に仕事を覚える日々の中にあった。

「『そんなもの作っても売れねえ』と父には言われました。若い頃、日本ではあまり知られていない野菜を作って市場に持ち込み、それがさんざんな結果だったという経験から、反対したんでしょう。でもぼくは農業経験が浅かったから、なにがいいのか悪いのかもわからなかった。『3年やってだめならやめる。だからとりあえずやらせてくれ』と無茶を言い続け、最終的には『じゃあ好きにしろ』となったんです」

生産者リーダーの小澤祥記さん
生産者リーダーの小澤祥記さん

失敗しても種をまき続け、100万円の売り上げが8000万円に

 畑の一画に、ラディッキオ(赤チコリ)、渦巻きビーツ、ルーコラ・セルバーティカ(ルッコラの一種)、チーマ・ディ・ラーパ(西洋ナバナ)、カステルフランコ(紅白模様入りチコリ)、カーボロネロ(黒キャベツ)などの種をまいた。だが、ほどなくして父は他界した。

 相談できる相手を失い、人手も足りなくなり、本業のネギの売り上げが落ちるなか、両立に苦しんだ。日本向けに改良された種とはいえ、気候風土がまったく違う土地で育った野菜を最初からうまく作れるほど甘くはない。当初は「障害物競走みたいだった」と小澤さんは振り返る。

「ゴールがどこなのか、よく見えないまま走っていましたね。種をまいて何日で芽が出るか、どのタイミングで定植するか、その後の管理はどうしたらいいか。使える農薬が少ないし、全般的に日本の野菜より軟弱です。初めてのものばかりで、作り方の正解がわかりませんでした」

 水分不足で実が割れる、多湿や病害虫で株が腐るなど失敗を繰り返し、収穫できたのはほんのわずか。それは他の3人も同じだった。初年度の売り上げは4人あわせてわずか100万円だった。

 それでも種をまき続けたのは、チャレンジしたいという気持ちが勝っていたからだという。

「できるかできないかわからない。できなければやめるしかない。そういう状況だったから前のめりでしたね。大変だと感じるよりも、次はこうしてやろうという気持ちがいつもありました。だれもやっていない野菜に、どれくらい可能性があるのかというところに魅力を感じて、わくわくしていましたね」

小さなナス「フェアリーテイル」
手のひらに収まるほどの小さなナス「フェアリーテイル」

 一緒にやる仲間がいたことも大きかった。発足の翌年には、関根一雄さんら3人の農家が新たに加わり、7人となった。全員が農家の後継者で、葉もの・実もの・根菜などそれぞれに得意分野を持っている。同じ時期に同じ作物を複数人ずつ担当し、それぞれの栽培方法で作りながらノウハウや技術を結集することで、徐々に“正解”を出せるようになった。

「作ったものを持ち寄って、みんなで食べてみたり色や形や重さを比べたりして、いちばんいいものを作った人からやり方を教わるようにしました。1つ正解ができれば、次の年にはみんなそこまでレベルアップできるんです。1品目につき1人しか作っていなかったら、そんなに上達しなかったでしょう。モチベーションの高い人に引っ張られることもあるし、グループでやることがプラスになりました」

 ヨロ研は、生産者団体ではない。地域の関係機関や企業が参加し、地域一丸となって生産・流通・販売・普及に取り組んできた。農家を支えてきたのは地元の種苗会社、トキタ種苗だ。ヨーロッパで販売されている種をそのまま使うと、発芽や生育のばらつきが大きく、秀品率も作業効率も落ちてしまう。同社の種は、イタリアにある自社の試験農場で選別したうえで、さらに日本国内で改良したものだ。

 飲食店向けの流通は桶川市の仲卸会社、関東食糧が担い、産業創造財団は事務局としてメディアやSNSでのPRを推進してきた。スタートから3年で安定供給できるようになったところで、地元農協のJA南彩の協力を得られた。当初は1人のメンバーの自宅倉庫に荷を集めていたが、生産量が増えてキャパシティが不足したため、17年からJAが設備の整った出荷場の一画を貸してくれたのだ。

 出荷と流通の体制が整ったことで販路は大きく拡大し、18年に売上は8000万円に達した。現在、取引先は埼玉県内だけで約1000軒、全国で合計1200軒以上。栽培農家は現在、13人にまで増えた。

秋から冬にかけては、ラディッキオやキャベツ、西洋ナバナなどの葉物も豊富に出回る
秋から冬にかけては、ラディッキオやキャベツ、西洋ナバナなどの葉物も豊富に出回る
写真提供:ヨロ研事務局
 

人気ゆえの「新しい壁」も見えてきた


 ヨロ研の強みは、「売ること」にあると小澤さんは明言する。

「生産のほうは、みんなプロなんだから何年かやればいい商品はできる。でも、それを売りさばけるのか、というのがこの取り組みの肝なんです。ぼくらも最初、売るのにはほんとに苦労して、作った野菜を余らせてしまいました。要は自己満足だったんです。それでも人任せにせず、自分たちでお客さんのところに行ったり、仲卸と直接交渉したりすることで、わかってきました」

 大きくておいしいものができれば、作り手としての満足度は高い。だが、流通や、それを使う飲食店のことを考えると、たとえば箱に4個しか入らないものは、20個入るものと比べて経済効率が悪く、売りにくい。ただ作るだけでなく、ニーズに合った量、サイズ、時期、そしてどのような野菜がいつ頃出荷できるかを案内するタイミングまで考えるようになった。

ロングパプリカ「パレルモ」
ロングパプリカ「パレルモ」を収穫する小澤さん

 フィレンツェも、この過程の中で栽培を始めた野菜の一つだ。日本の夏は高温多湿で、ヨーロッパ野菜が作りにくい。だが、ここで空白期間ができると注文が途絶えてしまい、顧客が定着しない。ナスやオクラなら、日本の夏でも作れるのではないか。そう考えた小澤さんは、輸入商社から種を取り寄せて試験栽培をスタート。

 だが、やはり発芽や生育にばらつきが出た。なんとかならないかと試行錯誤していたが、同時期にトキタ種苗はフィレンツェの品種改良を進めていた。2年目に輸入物と作り比べてみると、同社の種のほうが秀品率が良かったため、採用したという。

 資材代など初期費用もかかるうえ、枝を留める誘引作業や、不要な枝葉を切るせん定作業など、こまめな管理も必要になる。だが、手をかければかけるほど品質も、そして評価も上がっていった。安定供給できるようになった今は、いつから出荷できるのか、いつまで収穫できるのか、といった問い合わせが来るほどの人気商品だ。

 16年、法人格で顧客と直接取引できるよう、小澤さんが代表となって「農事組合法人FENNEL(フェンネル)」を設立した。農家メンバーは現在13人。ヨロ研発足当初は小澤さんのほうから勧誘していたが、技術が確立され、軌道に乗ってからは、メンバーになりたいと希望してくるケースが多いという。

 だが、これ以上人数を増やせば、品質の維持が難しくなる可能性もある。その一方で、需要は年々増え、供給が追い付かない状況になってきた。メンバーにはそれぞれ本業があるため、そう簡単には作付面積や人手を増やすことはできない。それが「新しい壁」になっているという。

 苦しい時期を乗り越え、現場のリーダーとして、地産地消の取り組みを成功させてきた小澤さん。二児の父である彼は、「かっこいい農家をめざしたい」と話す。

「もうからない、きつい、休みがない。農業のそういうところが嫌で、ぼくは30歳まで就農せず実家から離れていました。でもヨロ研で一つ可能性が見えてきた気がして、今は、健康に気を使いながら続けていきたいと思っています。小学生の次男は、畑をよく手伝ってくれますよ。いちばん近くで見てくれている息子たちに、もっと魅力的な農業のあり方を見せていきたい。稼げるようにはなったけど、休みは相変わらず少なくて(笑)、あんまり遊んであげられてないですけどね」

さいたまヨーロッパ野菜研究会
年々品質は向上し、シェフたちから「料理の幅が広がった」という声も寄せられている 
写真提供:ヨロ研事務局

さいたまヨーロッパ野菜研究会
問い合わせ https://saiyoroken.jimdofree.com

【特集】さいたまヨーロッパ野菜研究会:

  • 第1回 高温多湿の日本で、高品質のヨーロッパ野菜ができる理由 ~生産農家・小澤祥記さん
  • 第2回 朝とれた野菜がランチのテーブルに並ぶ“食の街”埼玉 ~生産農家・関根一雄さん、レストランシェフ・阿部正和さん
  • 第3回 キーワードは「郷土愛」。ヨロ研成功の2人の立役者 ~株式会社ノースコーポレーション・北康信さん、公益財団法人さいたま市産業創造財団・福田裕子さん
執筆者プロフィール

成見智子(なるみ・ともこ)
ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、旅行情報会社の編集・広報担当を経て独立。東南アジアの経済格差問題をテーマに取材活動を始め、2010年からは地域農業の現場取材をメインとする。日本各地の田畑や食品加工の現場を訪ね、産地や作物の紹介、6次産業化・地産地消の取り組みなどの現状をリポート
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