特集:神山典士の仕事×トカイナカ構想 ~50年間の歩みを追って[後編]

「神山さんの最近の動きはあまりに多岐にわたっているし、そもそもトカイナカ構想はどこから生まれたのか? いまひとつわからない。ここで最近の活動を客観的にルポしてもらったら」と、ある人のアドバイスから始まった、神山典士密着プロジェクト! ライター丘村奈央子、カメラマン北村崇が三重県松阪~志摩~長野県松本~黒姫作文教室4泊5日の旅を通して神山を「狙う!」。そこに浮かび上がった姿は……。

文=丘村奈央子 写真=北村 崇(神山典士提供写真以外)

中編から続く)

神山さん、中1のときの作文

「風」の旅はまだ続く。

 3日目は長野県松本市で1泊した。4日目は高速道路から黒姫高原へ向かい、「ラボランドくろひめ」で行われる1泊2日の作文教室に参加する。前編冒頭の雪山トレッキングは合宿の一環で、作文のタネを作るアクティビティだった。

 作文教室は神山さんのライフワークだ。

子どもたちに神山メソッドをレクチャー

「学校の国語教育にはもう20年以上『作文』という単元がないわけだよ。これを変えないといけない。だって母語の書き方を知らない国なんてないわけだからね。『トカイナカ構想』と同じで、次の代に残す日本というのは大きなテーマだよ」

 今回の会場となった「ラボランドくろひめ」も神山さんにとって特別な地だ。この施設は1971年にラボ教育センターのサマーキャンプ場としてオープンした。神山さんは「ラボ」のメンバーとしてオープン時のキャンプに参加したという。今回の参加者4名のうち3名は現役の「ラボっ子」、保護者にも子どもの頃「ラボっ子」だった人が多い。

 今も昔も「ラボ」は英語教育に力を入れている。英語や異文化を学ぶことによって日本の文化をより理解するのが目的だ。神山少年もその教育を受けて社会へ出た。作文教室のレクチャーでは自分も先輩であることを明かした。

「中学2年生でラボの国際交流というのに行きました。1カ月間アメリカでホームステイをして、帰ってきて書いた作文が今も残っています」

 会場では、中1で書いた作文とホームステイ後の作文が披露された。一部を紹介したい。

今の日本の教育制度というか、やりかたからして、英語の場合どうしてもペーパーテストで決まりがちです。
またラボも学校も、英語は英語。どっちがいいとは言えないのではないでしょうか?
野球だって攻撃の練習もすれば守備の練習もします。片方だけ手を抜くことはできないと思うのです。
(1974年/中学1年生)

 すでに問題意識があり、なぜそう思うのか理由を挙げてまっすぐ述べている。中1でここまで書ける人は少ないのではないだろうか。

確かに彼らには、それなりの休みがあり、12歳からバイクも乗れます。しかし、どれも、遊びのためのものではなく、いわゆる勉強のためでもなく、仕事のためなのです。(中略)そしてまた、それらがかれらにとって二つとない重要な勉強なのでしょう。
(中略)
アメリカに行ったというよりも、彼らの生活に入れたというほうがぼくにはうれしく思えるし、またすばらしいことだったと思います。
(1975年/中学2年生)

 この頃から「風」の素養は備わっていたに違いない。この14歳で書いた作文は宝物であり、62歳の自分が鼓舞されることも多々あるという。今回の参加者もきっと宝物になる作文を書く。

スノーシューで雪山へ

 神山さんのメソッドの根幹は「五感を総動員して書くこと」。作文教室だけでなく、五感を刺激するため「新しい体験」もセットなのが今回の合宿の特色だ。それが雪山トレッキングで、施設の支配人である道上忠之さんをガイド役にスノーシューを履いて黒姫高原の遊歩道を歩く。私も神山さんや参加者、保護者の皆さんと一緒にスノーシューでの道行きとなった。

 確か4日前までは電車から葉桜を見ながらクーラーの冷気を感じていたはずだ。今はなぜか初めてのスノーシューを履いてストックを持ち、しっかり雪が残る冷たい丘の麓にいる。

 スノーシューの前部には大きな動物の前歯のようなギザギザが付いている。足を上げて下ろすたびにざっくりと雪を噛んで、安心この上ない。

「自分の足を踏まないでくださいねー」

 道上さんのアドバイスが響く。格好を気にせずガニ股で歩くのが一番早い。雪は残るものの、茶色い杉の葉やいろんな枝がモザイクのように落ちているので難度が高い障害物競走のようでもある。男の子たちは先頭を行く道上さんにぴったりくっついて頑張っている。女の子はたまに後ろを振り返って、自分の親を心配している。

 時折、道上さんが止まって「ちょっと音を聞いてみようか」「この芽は何だと思う?」とヒントをくれる。私も立ち止まって耳を澄ます。上を向けば巨大な矢印のように枝を残した杉が曇り空を覆っている。どこからか水音がする。とにかくこの場を受け止めてみる。

道上さんを先頭に雪の残る高原の奥深くに分け入る。あっ! タラの芽が! フキノトウが!

 最後尾を守っているお父さんは元ラボっ子で、最近まで先輩が担当するテューターも務めていたという。今日はお子さん二人が作文教室に参加している。

「それって……うわあっ」
「大丈夫ですか!」

 話を聞こうと思ったら足元の枝トラップで盛大にコケた。一瞬どれが自分の足でどれが枝なのか分からない。立ち上がったら手袋をしていない手が濡れて赤くかじかんでいる。寒い。冷たい。
 いろんなことが予想外すぎて笑ってしまった。

 夕食後には基本的な「書き方」を伝える1回目の作文教室が開かれた。作文教室が終わると大人たちは神山さんの部屋に集まってきた。神山さんはこの時間がとても楽しみだという。

「最初は東京で仕事をしてたんだけど、97年から『地域創造』という雑誌で年2回文化施設を取材する仕事が来た。あっちの施設のほうが土地はあるし余裕があって豊かな時間が流れていてね。そこでみんなとどんちゃん騒ぎするのは楽しかったよ。飲めばみんな仲間になる」

 神山さんは積極的に場を盛り上げる側に回る。自分の話を披露するだけでなく「この人はね」と初対面の人同士が分かるように面白く紹介する。それも満遍なく、必ずみんな一度は輪の中心になれるようなエピソードとして取り上げる。「風」をあちこちへ向けて吹かせているようだ。

 5日目の午前、前日の体験を踏まえていよいよ作文を書く。神山さんは雪山トレッキングをおさらいして五感を呼び覚ましていく。

「さあ昨日はみんなでスノーシューを履いたね。感覚はどうだった」
「途中で何を見せてもらったんだっけ」

 子どもも大人も気づいたことをどんどん付箋に書いていく。目の前にあっても見なければ形は覚えられないし、いても聞こうとしなければ耳に残らない。改めて普段の自分が予想以上に「ぼんやり」しているのだと発見した。

 神山さんは机の間を回りながら原稿を確認し、良い部分を読み上げて「いいね!」と褒めていく。書き終わった子は次の作文に挑戦することもあれば、前のホワイトボードで落書きしたり走り回ったりしている。

「先生、誕生日なのー? ケーキ描こう」

 神山さんの似顔絵やバースデーケーキを描く子がいる。クスクス笑いながら男の子たちが何かを描き加えている。

「ほら、ビールビール!」

 お酒好きなのは子どもたちにも伝わっているらしい。神山さんは「君ら何やってるんだ!」と言いながらも楽しそうだ。

「今日は天気がいいから外でやろうか」

 道上さんの提案で午後の発表は野外にあるステージで行うことになった。ここ数日の重たい雲がうそのように晴れ渡り、隅っこまで青い空が広がっている。敷地に残る雪が陽に照らされてまぶしい。ステージにはログで組まれたテーブルとベンチが並んでいて、みんな思い思いの場所に座る。少し風が吹いて原稿が飛びそうになると賑やかな騒ぎになった。

作文教室発表会。あまりに気持ちのいいお天気で、野外でのびのび。ラボランドには10代の記憶が眠っている

作文教室終了後、野尻湖にて。湖の背後には黒姫山と妙高山がまるで助さん格さんのようにそびえ立つ

 発表された作文はどれもシーンの解像度が高く、年齢に関わらず気持ちと景色をこれだけしっかりと描けることが羨ましい。あるお母さんは何度か作文教室に参加していて、今年小学4年生になったお子さんの変化を感じているという。

「小1の頃はまだ長くは書けなかったんですけれど、今はとても心に素直な文章を書くんです」

 年が離れたお兄ちゃんは惜しくも教室に通うことができず、卒業文集では先生の指摘で書き直しをさせられて作文がつまらなくなってしまった。神山さんの教え方は逆だ。作文教室の冒頭ではこう明言している。

「作文には間違いがありません」

 何を感じたのか、どのように感じたのか、なぜそう思ったのか。それはどれも個人の貴重な体験だ。否定がないスタンスはラボの体験から生まれているように思う。ラボでは子どもたちが常に誰かに見守られている。大人はもちろん、年上の子は自然と年下の子を気遣って働きかける。初めて参加した子にも目が行き届き、何度も「いいね、凄いね」とみんなの前で褒められる。

 子どものときにそれを享受した神山さんも皆を褒めまくる。これは次世代への恩返しに近いのかもしれない。

五感を使って書く対話型神山メソッド作文教室。東京3カ所、埼玉県ときがわ町、千葉県千葉市(海浜幕張)で各月1回開催 写真=神山典士提供

風は止んでいない

 全ての行程が終わり、最終日の夜に着いたのは中目黒駅だった。都会の真ん中、「街」に戻ってきた。急に始まった旅も終わった。

 ……と思ったのは間違いだった。正確には、私の今回の旅は終わったとしても神山さんの旅が全然終わっていない。それ以降の神山さんも相変わらず全国を飛び回っている。翌日にはライブに向けた音合わせをし、5月の連休前には川越でワークショップを開催、ときがわ町長と面談、秩父へ取材。その後は広島、大分、宝塚で作文教室と、片時も止まらないのだ。

 神山さんに比べれば私は風未満だろう。でもこの旅で風の動きを知り、速さは覚えた。真似をしたらさらに新しい言葉に出合えそうな気がしている。

旅から旅へ風のように生きたい!

(特集おわり)

特集:神山典士の仕事×トカイナカ構想[前編]
特集:神山典士の仕事×トカイナカ構想[中編]
特集:神山典士の仕事×トカイナカ構想[後編]

執筆者プロフィール

丘村奈央子(おかむら・なおこ)

1973年生まれ、長野県松本市出身。親の転勤により鶴ヶ島町(現・鶴ヶ島市)に在住経験あり。信州大学卒業後、新聞社の広告営業職から編集職を経て2010年からフリーライター。主に一般企業のサイトや広報誌などを手がける。著書『「話す」は1割、「聞く」は9割』(大和出版)など。

https://edi-labo.com/

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