第4回 北朝鮮の「58年」と、シリアの「3年4カ月」

「自己責任」と切り捨てる社会を問う異色作

 1960年に在日朝鮮人の帰国事業で在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮に渡った女性と、生き別れた妹の58年ぶりの再会を追った映画『ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。』(島田陽磨監督)が8月から公開されている。

 帰国事業で1800人を超える日本人女性が海を渡ったが、その後、一時帰国できたのは43人だけ。姉・愛子さんは一度も帰国できていない。熊本在住の妹の恵子さんは姉と手紙を交わしていたが、気持ちのすれ違いや葛藤の末に絶縁状態となっていた。

 北朝鮮を取材した島田監督らが、愛子さんが保管していた手紙の差出人住所をたよりに恵子さんを探して訪ね、再会の橋渡しをした。58年という空白の重さが再会の喜びという言葉だけでは語りきれないものであることを映画は丹念に描いている。

映画『ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。』のポスターと島田陽磨監督(筆者撮影)

 恵子さんは、高齢の愛子さんが再び日本の地を踏み、両親の墓参りができるよう一時帰国の実現に向けて奔走し始めた。58年という空白の時間を生きなおそうとしているかのようにも見える。しかしそこへ、「自己責任だ」といった批判が寄せられているという。

 帰国事業は国を挙げて行われたものだ。その後の国家の体制や国際政治の変遷など誰にも予測できなかったし、個人の力でどうにかできるものでもない。にもかかわらず「社会や政府に何も求めるな」と非難されている。

 人生は選択の連続であり、その結果を常に背負いながら人は生きている。一人では抱えきれないものを支え合うためにつくられたのが社会であり政府のはずだ。「自己責任論」とはそこから個人を切り捨てる棄民の論理である。

 かといって「自由」を説いているわけでもない。社会や政府の許す範囲で生きていけという全体主義的な発想だ。国家に統制される北朝鮮の人々と、国民同士が同調圧力をかけあう日本の我々は、実は紙一重の世界に生きているのではないかという気にさせられる。

 島田監督は埼玉県坂戸市出身で、私と同じ川越高校の2年遅い卒業生。早稲田大学の探検部で中国や南米を踏査し、卒業後は日本電波ニュース社のディレクターとなった。私と知り合ったのは2003年、イラク戦争開戦間近のバグダッドである。

 シリアで3年4カ月拘束された私は、姉妹の58年の空白という時間の重さと再会の涙に心揺さぶられた。その拘束の間に島田監督が素晴らしい取材をし、優れた映画を完成させたことに、私はひそかに嫉妬している。

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